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七夕 [今日は何の日]

今日は七夕。梅雨前線が停滞し全国的に曇りか雨の予報です。
年に一度しか会えない遠距離恋愛中の織女姫と彦星。雨が降ると天の川が増水し渡ることができなくなってしまいます。
万葉集にも彦星が天の川を船で渡って行く、そのカジの音が聞こえてくるという歌がありますね。

天の川 楫(かぢ)の音聞こゆ 彦星と織女と 今夜(こよひ)逢ふらしも

さて今日の花はアガパンサス。七夕とは関係ありませんが、花言葉は「恋の訪れ」。

JR鎌倉駅からいちばん近い寺、安産子育てで有名な大巧寺の入口に咲いていました。

[6月24日撮影]


横浜港開港記念日 [今日は何の日]

今日は横浜港の開港記念日です。
1858(安政5)年に神奈川(横浜)沖に停泊中のアメリカ軍艦ポーハタン号船上で、日米修好通商条約が締結されました。翌年6月2日、この条約に基づき神奈川(横浜)と長崎が開港しました。
毎年、この日を中心に横浜みなと祭りが開かれています。

ポーハタン号はペリー艦隊の旗艦で、2,415トンの当時最新鋭艦でした。

この記事に合う画像に苦労しましたが、横浜市開港記念会館のステンドグラスに描かれていました。

このステンドグラスが建物を救った話は以前書きました。
    ↓  ↓
http://blog.so-net.ne.jp/ichidigi_photogallery/2005-09-14

<おまけ>は横浜港に停泊中の氷川丸です。 【追記】 東雲さん、金子みすゞの詩を教えていただきありがとうございます。
「帆」
             金子みすゞ
港に着いたふねのほは、
みんな古びて黒いのに、
はるかのおきをゆくふねは、
光かがやく白いほばかり。

はるかのおきのあのふねは、
いつも港へつかないで、
海とお空のさかいめばかり、
はるかに遠くいくんだよ。
かがやきながら、行くんだよ。


ひなまつりだよ [今日は何の日]

今日はひなまつりです。

なので鎌倉梅だよりはお休みです。

我が家のおひなさまを紹介します。

娘がまだ小さかった頃は・・・(1998年)

最近では・・・(2005年)

今年は??

年々簡素化しています。

皆さんのうちではどんなひなまつりをされてますか?


My sweet lord [今日は何の日]

最近、誕生日の話題が続きますが、今日はジョージ・ハリソンの生まれた日。
言わずと知れたビートルズの第三の男。ジョンとポールの影で目立たぬ存在でしたが、解散後ようやく本領を発揮、LP3枚組の大作「ALL THINGS MUST PASS」でその才能を開花させました。

ビートルズの中では誰が好き?と聞かれるとたいていの人はポール、ジョン!と答えますが、私はジョージ。
控えめな性格が自分に似ていると勝手に親近感を覚えていました。もっとも大勢に順応したくない性格の現れかもしれませんが。

中学生の頃大ヒットした「My sweet lord」のシングルを小遣いで買い、その当時のラジオ番組「ポップス・ベストテン」にリクエストの葉書を出してD.J.に名前を読まれたことがあります。
それだけでも自分にとっては大事件でした。

ジョージの曲では「Something 」「While My Guitar Gently Weeps 」などの名曲がありますが、一番好きなのは「Here Comes The Sun 」。アコースティク・ギターで奏でる独創的な旋律がジョージらしい曲です。

最近ジョージ関連では「バングラデシュ救済コンサート」と「コンサート・フォー・ジョージ」のDVDが発売されています。

「バングラデシュ」についてはサイド・バーでご紹介しています。

「コンサート・フォー・ジョージ」はジョージの死後、彼の友人たちが出演したトリビュート・コンサートです。彼と親しかったエリック・クラプトンのほか、もちろんリンゴとポールも演奏しています。


コンサート・フォー・ジョージ

ジョージが亡くなったのは2001年11月29日。享年58歳の生涯でした。


梅を見るたび思うこと [今日は何の日]

今日は坂本都子(さとこ)さんの誕生日。
都子さんは坂本堤弁護士の妻であり、長男の龍彦ちゃんとともにオウム真理教の幹部によって命を奪われました。1989年11月4日未明のことです。

紅梅を目にするたび想い起こすのは都子さんのこと。
詳しくは<都子基金>のブログに書きましたので、そちらをご覧いただきたいと思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/satokokikin [2月19日新宿御苑にて撮影]


啄木との出会い [今日は何の日]

今日は石川啄木の生まれた日です。
1886(明治19)年2月20日、父が住職をしていた岩手郡日戸村(現玉山村日戸)の曹洞宗常光寺に生まれました。渋民村の宝徳寺に移るのはその翌年のことです。

26歳1ヶ月の短い生涯でしたが、彼の残した歌の数々は今も私たちの心に残ります。

私と啄木の出会いは小学生の頃、家族で北海道を旅行したときに函館で買ってもらった観光記念葉書。

押入れの中を探したら出てきました。
「一握の砂」の冒頭を飾る有名な歌が、蟹のイラストとともに記されています。

写真ではなくスキャナしてみました。

札幌の大通り公園でも啄木と出会いました。

「しんしんとして 幅広き街の
 秋の夜の
 玉蜀黍の焼くるにほひよ 」


大隈重信生家 [今日は何の日]

今日2月16日は、明治政府で要職を勤め、早稲田大学を創設した大隈重信の誕生した日です。
2年前、インターネット上の大学「佐賀ときめき大学」のスクーリングに参加し、佐賀市にある大隈重信の生家と記念館を訪れたことがありました。


大隈重信は、1838(天保9)年2月16日、佐賀藩士大隈信保と三井子の長男(幼名:八太郎(はちたろう))として生まれました。
佐賀大隈記念館前に保存されている生家は、父・信保が1832(天保3)年に買い取り、居宅としていたものです。
当時は藁葺きの平屋でしたが、のちに大隈重信の勉強部屋として、2階部分の八畳間などが建て増しされています。
この家で大隈は、知行300石、物成(年貢高)120石を受ける佐賀藩の砲術長であった父と、慈愛にあふれた母の愛情をうけて幼年時代を過ごしました。


青年時代の大隈は、藩校弘道館に学びますが、佐賀藩独特の葉隠思想に反発、蘭学寮に入り蘭学を修めます。また、長崎に出て米国宣教師のフルベッキに新約聖書と米国独立宣言を教わり、大きな影響を受けます。明治維新に際して、副島種臣とともに脱藩し上京、大政奉還運動に加わりましたが、送還され、謹慎処分を受けました。
明治元年(1868年)、30歳で徴士として政府に召し出され、外国事務局判事となり、イギリス公使パークスと論争して名を上げます。

その後、大隈は明治政府の要職を勤め、この間、鉄道・電信建設、貨幣制度改革(円貨導入)、予算会計制度確立、工部省設置、太陽暦導入などの文明開化政策を次々に推進しました。
1882(明治15)年には、立憲改進党創設、東京専門学校(現早稲田大学)を創立します。彼は日本の近代化を推進するためには、政党政治の実現と人材の育成が不可欠と考え、その理想の実現に邁進しました。
1922(大正11)年1月10日、大隈は83歳で永眠、東京都文京区音羽の護国寺に眠っています。

[2004年11月27日撮影]


虹と雪のバラード〜札幌冬季五輪開幕 [今日は何の日]

二月三日は節分です。
皆さん、豆まきはされましたか?

さて、トリノ・オリンピックも目前に迫りましたが、1972年のこの日、札幌でアジアで初の冬季オリンピックが開幕しました。
70メートル級ジャンプで笠谷・金野・青地がメダルを独占したり、
フィギュア・スケートでジャネット・リン(米)が転倒しながらも大人気だったことを覚えています。

札幌には小学生の頃、父親の仕事の関係で2年間住んでいました。オリンピックの頃には既に内地に戻っていたのですが、冬季五輪で札幌の街が映し出されるたびに、懐かしく感じていました。

そのときのテーマソングがトワ・エ・モアの歌った「虹と雪のバラード」です。

  虹の地平を歩み出て
  影たちが近づく手を取りあって
  街ができる 美しい街が
  あふれる旗、叫び そして歌

  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちの間に
  眠っている 北の空に
  君の名を呼ぶ オリンピックと

  生まれ変わる サッポロの地に
  君の名を書く オリンピックと

冬季五輪にふさわしい画像がないか探したところ、4年前札幌に出張した際撮った大倉山シャンツェの画像がありました。

大倉山シャンツェにはウィンター・スポーツ・ミュージアムが併設されており、冬季五輪の時に使用されたリュージュが展示されていたり、ボブスレーや射撃の体験ができる装置などがありました。

トリノでは日本選手はもちろん、参加する全選手の健闘を祈ります。

[2002年10月25日撮影]


1995年のこと [今日は何の日]

一昨日、1月17日は6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から11年目を迎えた日でした。
この日は防災とボランティアの日として各地で様々な追悼行事や震災を想定した訓練が行われました。


11年前の1995年、平成7年にはこの他にも大事件が続きました。

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今日、12月8日は・・ [今日は何の日]

今日は John Lennon がニューヨークの自宅前で射殺された命日。
世界中で彼を追悼する催しが行われたということです。
私が Beatles を知ったのは Let It Be が流行り、グループが解散かと言われていた頃です。
各メンバーも個々に活動をし始め、「ジョンの魂」や「Imagine」などソロ・アルバムを出していました。

自分の Beatles 遍歴は「Let It Be」から始まって「Hey Jude」「Sgt.Pepper's」「Revolver」と彼らの軌跡を逆にたどって行きました。当時のバイト代は皆LPレコードに消えてしまったような気がします。
初期の Beatles のDVDなども手に入るようになって演奏を見てみると、John の位置はいつも最前面でまたを広げて歌っています。その姿から、あぁ、Beatles は John のバンドだったんだ、ということがわかります。

さて、12月8日は「トラ・トラ・トラ」の日、真珠湾への奇襲攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされた日です。
当時の連合艦隊司令長官、山本五十六は、日米の国力の差をみれば、この戦争は短期決戦しかないと考えたようですが、実際には果てしない泥沼の消耗戦となりました。
この戦争で内外の多くの兵士、国民の尊い命が失われました。
中国残留日本人孤児や従軍慰安婦の問題、南の島での日本兵発見などのニュースを見るたびに、あの戦争はまだ続いている、そんな感じがしています。
さらに、米国への同時多発テロの際、マスコミはこれを「第二の真珠湾攻撃」と表現したようですが、「Remember Pearl Harbor!(真珠湾攻撃を忘れるな!)」という言葉には注意しなければなりません。この言葉は「ずるいジャップにだまし討ちにあった。覚えてろ、潰してやる」という意味になり、米国民の団結を高めるために持ち出されることの多い言葉です。

いつになく饒舌になってしまいましたが、この日は私が40代最後の歳に突入する記念すべき日でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。


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