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大隈重信生家 [今日は何の日]

今日2月16日は、明治政府で要職を勤め、早稲田大学を創設した大隈重信の誕生した日です。
2年前、インターネット上の大学「佐賀ときめき大学」のスクーリングに参加し、佐賀市にある大隈重信の生家と記念館を訪れたことがありました。


大隈重信は、1838(天保9)年2月16日、佐賀藩士大隈信保と三井子の長男(幼名:八太郎(はちたろう))として生まれました。
佐賀大隈記念館前に保存されている生家は、父・信保が1832(天保3)年に買い取り、居宅としていたものです。
当時は藁葺きの平屋でしたが、のちに大隈重信の勉強部屋として、2階部分の八畳間などが建て増しされています。
この家で大隈は、知行300石、物成(年貢高)120石を受ける佐賀藩の砲術長であった父と、慈愛にあふれた母の愛情をうけて幼年時代を過ごしました。


青年時代の大隈は、藩校弘道館に学びますが、佐賀藩独特の葉隠思想に反発、蘭学寮に入り蘭学を修めます。また、長崎に出て米国宣教師のフルベッキに新約聖書と米国独立宣言を教わり、大きな影響を受けます。明治維新に際して、副島種臣とともに脱藩し上京、大政奉還運動に加わりましたが、送還され、謹慎処分を受けました。
明治元年(1868年)、30歳で徴士として政府に召し出され、外国事務局判事となり、イギリス公使パークスと論争して名を上げます。

その後、大隈は明治政府の要職を勤め、この間、鉄道・電信建設、貨幣制度改革(円貨導入)、予算会計制度確立、工部省設置、太陽暦導入などの文明開化政策を次々に推進しました。
1882(明治15)年には、立憲改進党創設、東京専門学校(現早稲田大学)を創立します。彼は日本の近代化を推進するためには、政党政治の実現と人材の育成が不可欠と考え、その理想の実現に邁進しました。
1922(大正11)年1月10日、大隈は83歳で永眠、東京都文京区音羽の護国寺に眠っています。

[2004年11月27日撮影]


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Tytto

歴史のお勉強させていただきました!
脳みそのシワ増えたかな〜? (^^)
by Tytto (2006-02-16 07:20) 

東雲

...なるほど...。
Tyttoさん ↑ と同じく 良いお勉強をさせて頂きました!
by 東雲 (2006-02-16 09:36) 

achami

佐賀って行ったことないかも〜。
by achami (2006-02-16 12:26) 

勉強になります。
なるほどねーー。
by (2006-02-16 20:31) 

タックン

インターネット上の大学っていうのがあるんですね。
護国寺は昔行ったことがありましたが、
大隈さんが眠っているのは知りませんでした。
by タックン (2006-02-17 21:17) 

レイン

Tyttoさん、大人になるとなかなか歴史の勉強から遠ざかってしまいますが、たまにはこうした史話で脳みそのシワ増やして下さいね〜。

東雲さん、大隈さんのエピソードは膨大で記事に書ききれないほどあるのです。また後日書かせていただきます。

achamiさん、私はときめき大学のスクーリングで、九州では佐賀だけに4回行きました。

koi3さん、明治の元勲では薩長閥ではない大隈さんにいちばん親近感を覚えます。

タックンさん、ときめき大学は修了しましたが、また何か始め見たいと思っています。私は護国寺にはまだ行っていませんので今度訪ねてみようと思います。
by レイン (2006-02-18 01:24) 

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