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啄木との出会い [今日は何の日]

今日は石川啄木の生まれた日です。
1886(明治19)年2月20日、父が住職をしていた岩手郡日戸村(現玉山村日戸)の曹洞宗常光寺に生まれました。渋民村の宝徳寺に移るのはその翌年のことです。

26歳1ヶ月の短い生涯でしたが、彼の残した歌の数々は今も私たちの心に残ります。

私と啄木の出会いは小学生の頃、家族で北海道を旅行したときに函館で買ってもらった観光記念葉書。

押入れの中を探したら出てきました。
「一握の砂」の冒頭を飾る有名な歌が、蟹のイラストとともに記されています。

写真ではなくスキャナしてみました。

札幌の大通り公園でも啄木と出会いました。

「しんしんとして 幅広き街の
 秋の夜の
 玉蜀黍の焼くるにほひよ 」


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コメント 5

Tytto

おっと、またしてもシワが増えました。
啄木さんはそんなに若くして亡くなられたのですね。
なぜか老人なイメージなんですが。。。(スミマセンm(__)m)
by Tytto (2006-02-20 03:43) 

東雲

「一握の砂」...中学校の時の国語の先生が啄木のファン(?)で
国語の授業中によく話しをしてました(私 その先生が好きだったんです)

「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」

数年前 北海道旅行した時 見ましたょ! ↑
by 東雲 (2006-02-20 05:07) 

achami

啄木ていうと、私は函館が思い浮かびます。
しかし、26歳でこんなに作品が残っているなんて・・・。
by achami (2006-02-20 17:07) 

kom

啄木というと自分の場合は上野ですねえ。
「ふるさとの訛なつかし〜」のイメージが上野駅そのものです。
いつか寝台特急に乗って北海道へ行きたいです。
できれば「カシオペア」でなくて「北斗星」で・・。
by kom (2006-02-20 20:15) 

レイン

皆さん、啄木への思い、印象に残る好きな歌をコメントしていただき、ありがとうございます。

Tyttoさん、私も啄木は老成した少年というイメージです。神童と呼ばれ、一家の期待を一身に背負い、20代で一家を扶養しなくてはならなかった過酷な境遇のもとで生涯を駆け足で終えてしまいました。

東雲さん、国語が得意だった理由がわかりました。好きな先生の教える教科は頑張りますから成績も良かったのでは。

achamiさん、啄木の函館時代は生涯で最も幸せな時期だったと思います。ところが大火で焼け出され、北海道を転々とする放浪が始まります。過酷な運命が彼にたくさんの、人の心を打つ歌をつくらせたのでしょうか。

komaさん、私は就職したてのころ、上野から(寝台ではない)急行八甲田で青森まで行き、青函連絡船で北海道へわたり夕張まで行ったことがあります。今となっては体験できない旅でした。このことは改めて書こうと思っています。
by レイン (2006-02-20 20:59) 

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