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博多千年門・承天寺〜博多寺社町巡り その1 [旅]

学会に先立つ会議がホテルで始まるまで、近在の寺社町を歩いてみました。
最初に訪れたのは博多寺社町のウエルカムゲート、博多千年門です。
造られたのは新しく、平成26年3月の完成です。

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歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していたようです。
博多千年門はかつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、門扉の板材には、太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を用い、欄間には博多織の献上柄模様が刻まれています。

門のくぐると庭園のような趣のある承天寺通りが続きます。

その通りの名となった承天寺へ。
承天寺の仏殿、覚皇殿。
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左手前にあるのがベンチではなく、蒙古の軍船が碇の一部として用いた石で長さ約2メートルの「蒙古碇石(もうこいかりいし)」です。

承天寺は臨済宗東福寺派の寺院で、開山は聖一国師円爾弁円(しょういちこくし えんに べんねん)。大宰少弐武藤資頼(だざいしょうに むとうすけより)が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明(しゃこくめい)の援助により仁治3年(1242)に創建されました。

方丈。残念ながら非公開のようでした。
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聖一国師は後に紅葉で有名な京都・東福寺を開山しており、本堂の方丈の前には石庭「洗濤庭(せんとうてい)」が広がります。
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方丈から見て手前に玄界灘を表現した白砂と、奥に中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園です。

境内には「饂飩・蕎麦発祥之地の碑」「御饅頭所の碑」「満田弥三右衛門の碑」が並んでいます。
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中国の宋より帰国した円爾(えんに)は、羊羹、饅頭、うどん・蕎麦などの製法とともに、製粉技術も日本に持ち帰りました。この製法・製粉技術により、日本の粉食文化が大きく発展。また謝国明が大晦日に貧しい人々に蕎麦を振る舞った事が、年越し蕎麦の始まりとも言われています。

また、禅の布教に出向いた先の茶店に訪れると主人から手厚い歓待を受け、その御礼に円爾は米麹を用いた酒饅頭の製法を教えました。加えて「御饅頭所(おんまんじゅうどころ)」の看板も書き与えました。その看板は現存し、老舗和菓子店である東京の「虎屋」が所蔵しているそうです。

博多の商人・満田弥三右衛門は、円爾と共に謝国明の船で宋に渡り、織物、朱、箔、素麺、麝香丸(じゃこうがん)の5つの製法を修得。6年後、再び円爾と共に帰国して、これらの製法を博多の人々に伝え、その中の織物技法だけ家伝とし「広東織」と称して独自の工夫を加えました。長い歳月を経て、子孫がさらに研究と改良を重ねて、中国における博多の呼称のひとつ「覇家台(はかた)」を取って「覇家台織」つまり「博多織」と名付けられたと伝えられています。

残念ながら方丈と庭園は中門からちらりとしか見えません。
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宋との交易により博多には多くの文化・技術が輸入されました。
うどん、蕎麦、饅頭、織物など、現代の私たちの生活にも受け継がれ、工夫を加えられてきたものの起源が承天寺にあります。


[2月17日撮影]
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