白山神社の紫陽花 [東京散歩]
都内有数の紫陽花の名所、白山神社を訪ねました。
以前から行きたいと思っていました。
たまにしかない上京の機会を利用しない手はありません。
この神社の歴史は古く、天暦2年(948年)加賀国の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建されたと伝えられています。
左右の狛犬の周りも色とりどりの紫陽花で埋め尽くされています。
その後、元和年間(1615~1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移りましたが、五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に遷座しました。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受け、以後将軍家から信仰されました。
新種の紫陽花もたくさんありました。
濃いブルーの紫陽花の傍に石碑があります。
孫文先生座石とあります。
手前の横長の石に、中国の革命家孫文が盟友宮崎滔天と腰掛け、中国の将来と革命について語り合ったそうです。
そのとき夜空に光芝を放つ一条の流星をみました。
これは明治43年(1910年)のハレー彗星ではないかと言われています。このとき、孫文は祖国の革命を心に誓い、翌年清朝を倒す辛亥革命を成功させました。
白山神社の境内にはそんな歴史上のエピソードがあります。
以前から行きたいと思っていました。
たまにしかない上京の機会を利用しない手はありません。
この神社の歴史は古く、天暦2年(948年)加賀国の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建されたと伝えられています。
左右の狛犬の周りも色とりどりの紫陽花で埋め尽くされています。
その後、元和年間(1615~1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移りましたが、五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に遷座しました。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受け、以後将軍家から信仰されました。
新種の紫陽花もたくさんありました。
濃いブルーの紫陽花の傍に石碑があります。
孫文先生座石とあります。
手前の横長の石に、中国の革命家孫文が盟友宮崎滔天と腰掛け、中国の将来と革命について語り合ったそうです。
そのとき夜空に光芝を放つ一条の流星をみました。
これは明治43年(1910年)のハレー彗星ではないかと言われています。このとき、孫文は祖国の革命を心に誓い、翌年清朝を倒す辛亥革命を成功させました。
白山神社の境内にはそんな歴史上のエピソードがあります。
濃いブルーの紫陽花が、目立ちますねぇ!
by achami (2016-06-28 12:28)
achamiさん
目に鮮やかなブルーの紫陽花がたくさんありました。
7月に入り、紫陽花もそろそろ見納めですね。
by レイン (2016-07-02 06:42)