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府中市・大国魂神社 [東京散歩]

お彼岸の中日、都下の霊園へご先祖様のお墓参りに出かけました。
道が混むので早朝に出かけ、お墓参りを済ませてからファミレスの○ストで朝食。
そのまままっすぐ帰るのもなんなので、途中の大国魂神社へお参りしました。

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社伝によれば、景行天皇41年(111)5月5日、武蔵国の護り神として大国魂神を祀ったのが始まりとされています。それが本当なら創建は弥生時代になりますが、それほど古い歴史を持つ社だということです。

随神門
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大化の改新以後、この地に武蔵国の”国府“が置かれて以来、”国司”が祭祀を執り行っていました。

参道脇には「武蔵国府跡」を示す石碑がありました。
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平安時代に各諸神を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では、大國魂神社がその総社となり、さらに、平安末期には著名な六か所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。

中雀門
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武士の世の中になっても広く武将たちの信仰を集め、衰えることがなかったようです。永元年(1182)には源頼朝が葛西三郎清重を使節として、その室、政子の安産の祈願が行われ、文治二年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造されました。

拝殿
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徳川家康も関が原の戦いや、大坂の陣の戦勝祈願成就の御礼として馬場を献上し、本殿や拝殿、楼門を修築しています。

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5月5日に行われる例大祭は「くらやみ祭」と呼ばれ有名です。岡本綺堂の半七捕物帳に、「二人女房」という短編がありますが、そこに六所明神のくらやみ祭りの最中に、酒屋のおかみさんが行方不明になるという事件が描かれています。

中雀門前の狛犬も苔むしています。
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府中市立ふるさと府中歴史館
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館内には国府跡から発掘された灰釉陶器や瓦などが展示されていました。
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随神門前に聳えるモミノキ。
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[9月22日撮影]

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【追記】
通常、神社は南か東向きに建てられています。ところが大国魂神社の社殿は甲州街道から南に参道が伸び、本殿は北を向いています。
永承6年(1051年)に南向きであった社殿を源頼義が北向きに改めました。
これは、朝廷の権力が届きにくい東北地方を神威によって治めるという意味がこめられているそうです。
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an-kazu

半七捕物帳・・・好きな作品です!
by an-kazu (2012-09-27 22:17) 

レイン

an-kazuさん
半七捕物帳は幕末の江戸風物を描き、謎ときも楽しめ、私もとても好きです。
iPhoneの青空文庫で全巻を2回読みました。そろそろ3回目を始めようと思っています。
by レイン (2012-09-28 22:04) 

タックン

歴史を感じさせる神社ですね。
武蔵国時代を想像します。
岡本綺堂の「二人女房」 読んでみたいですね。
by タックン (2012-09-29 20:12) 

レイン

タックンさん
府中という地名が示すように、古代武蔵国の国府が大国魂神社の鎮座する場所に置かれました。武蔵国分寺もここから2kmの国分寺市にあります。
「二人女房」、青空文庫にありますので、タダで読めますよ。
by レイン (2012-10-05 19:11) 

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