雨の寂光院〜京都に紅葉を訪ねて その10 [京都散歩]
京都大原の里、三千院を訪れたあと、寂光院へ行きました。
ここも修学旅行以来です。
寂光院は天台宗の尼寺で、寺伝では推古2(594)年に、聖徳太子が父である用明天皇の菩提を弔うために建立されたとしています。
当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊で、鎌倉時代に制作された旧本尊、地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した心ないものの放火により、本堂とともに大きく焼損してしまいました。
山門までの石段
寂光院といえば大原御幸に触れない訳にいきません。
平清盛の娘、建礼門院徳子は高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母でです。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、尼となって寂光院で余生を送りました。
後白河法皇が平家一門と高倉・安徳両帝の冥福を祈り、建礼門院をたずねて寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、謡曲にも謡われています。
境内の紅葉
焼損後新たに再建された本堂
汀の桜
池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ 後白河法王
お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤がうら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもの。
鐘楼の上の紅葉
鐘には「諸行無常の鐘」という名が付けられています。
[11月19日撮影]
ここも修学旅行以来です。
寂光院は天台宗の尼寺で、寺伝では推古2(594)年に、聖徳太子が父である用明天皇の菩提を弔うために建立されたとしています。
当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊で、鎌倉時代に制作された旧本尊、地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した心ないものの放火により、本堂とともに大きく焼損してしまいました。
山門までの石段
寂光院といえば大原御幸に触れない訳にいきません。
平清盛の娘、建礼門院徳子は高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母でです。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、尼となって寂光院で余生を送りました。
後白河法皇が平家一門と高倉・安徳両帝の冥福を祈り、建礼門院をたずねて寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、謡曲にも謡われています。
境内の紅葉
焼損後新たに再建された本堂
汀の桜
池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ 後白河法王
お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤がうら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもの。
鐘楼の上の紅葉
鐘には「諸行無常の鐘」という名が付けられています。
[11月19日撮影]
紅葉の時期の京都は、特に素晴らしいですね。
by Silvermac (2011-11-29 08:11)
SilverMacさん
紅葉の時季の京都は混みますが、苦労してでも出かけてみたい場所です。
良い写真が撮れれば旅費がかかってもモトが取れた感じがします。
by レイン (2011-11-29 22:08)