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新薬師寺金堂発掘説明会〜紅葉の奈良を訪ねて その1 [奈良散歩]

11月下旬の三連休を利用して紅葉の奈良を旅してきました。
22日早朝横浜を発ち、京都を経由し奈良に到着したのは午前9時頃。
さっそく最初の目的地である奈良教育大学へと向いました。

つい最近、このキャンパスで新薬師寺の金堂と見られる大型の建物の基壇が発掘されましたが、この日は現地で発掘説明会が行われ、遺跡が公開される日です。

発掘現場を上空から見た写真です。
写真右側の現在の新薬師寺の本堂からは、奈良市写真美術館をはさんで西に150mほどの距離の場所です。
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発掘現場の全体はこんな感じてす。
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上の写真は金堂の東南の隅から西北方向を眺めています。
手前から奥に幅68m、奥行き28.5mの基壇があったと推定されています。

東南隅の凝灰岩延石列です。
IMG_5075.jpg
西南隅の礎石据付堀形と地固め石です。
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午前中早い時間にもかかわらず、たくさんの考古学ファンが詰めかけていました。
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ここに現在の東大寺大仏殿を上回る巨大な金堂があったということです。
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現地見学を終えたあと、教育資料館という建物で今回の発掘で出土した遺物の展示を見てきました。
出土遺物からこの建物が10世紀まで存在していたことがわかります。
「東大寺要録」によれば応和2年(962)、大風により七仏薬師堂(金堂)等倒壊したと書かれています。

平瓦(8世紀中頃)
IMG_5109.jpg

手前左 須恵器壷(9〜10世紀)、手前右 灯明皿片(9〜10世紀)、奥 せん(中国の焼成煉瓦のこと)
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均整唐草紋軒平瓦(東大寺同范)
同范とは同じ型で造られたものののことです。
IMG_5115.jpg

新薬師寺建立にかかわったのは聖武天皇とその后の光明皇后、そして当時最も権力と富を有していた光明皇后の実家、藤原氏です。
彼らは東大寺大仏殿や全国に国分寺・国分尼寺をつくるなどしていただけでなく、この寺にもなみなみならぬ情熱と莫大な資金を注いでいたことがわかりました。

IMG_5124.jpg

そんなことを考えながら、やはり新薬師寺にお詣りしようと奈良教育大学をあとにしました。

[11月22日撮影]


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コメント 5

SilverMac

奈良はどこを掘っても遺跡が出るでしょうね。
by SilverMac (2008-12-04 08:50) 

お茶屋

SilverMacさんと、同じように思っておりました^^;
by お茶屋 (2008-12-04 10:00) 

レイン

SilverMacさん
奈良の地下にはいろんな遺物が眠っているでしょうね。この金堂も大学の敷地外は住宅地で、これ以上発掘できそうもありません。

お茶屋さん
発掘に酔って今までわからなかったものが見えてくる、と同時に新たな謎も生まれてきます。
by レイン (2008-12-05 20:59) 

テリー

すごい見物客ですね。
by テリー (2008-12-08 22:01) 

レイン

テリーさん
10月に2日間、11月にはこの日だけの公開でしたから、考古学ファンが集中したようです。
by レイン (2008-12-09 01:16) 

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