鎌倉の洋館・旧華頂宮邸一般公開 [建物]
鎌倉を代表する洋館の一つである、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)が10月4日・5日の両日だけ一般公開されるというので、出かけました。
場所は浄妙寺や報国寺に近いところで、宅間ヶ谷(たくまがやつ)という谷戸にあります。
華頂宮邸の沿革は、鎌倉市のホームページによると、次のように記されています。
「旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。華頂家の沿革(華頂宮家について)から、通称的に旧華頂宮邸と呼ばれています。
当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月に市が取得 しました。戦後の接収もあったと思われますが、華頂博信侯爵当時、諸室がどのように使われていたかなどを含めて詳細は不明です。」
玄関側(北側)から見た建物
建物の中が一般公開されるのは今日明日の2日間だけです。
それだけにたくさんの人たちが訪れていました。
秋の草花が飾られています。
2階のベランダのガラス越しに見た庭園と谷戸の風景。
屋内の照明もお洒落なデザインです。
大理石のマントルピースとその照明
庭園から見た建物全景。
建築様式は15世紀から17世紀のヨーロッパの民家に多く用いられたハーフティンバー様式で、端正で古典的な外観です。
正面から。
最後は、庭園のバラを入れてみました。
[10月4日撮影]
場所は浄妙寺や報国寺に近いところで、宅間ヶ谷(たくまがやつ)という谷戸にあります。
華頂宮邸の沿革は、鎌倉市のホームページによると、次のように記されています。
「旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。華頂家の沿革(華頂宮家について)から、通称的に旧華頂宮邸と呼ばれています。
当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月に市が取得 しました。戦後の接収もあったと思われますが、華頂博信侯爵当時、諸室がどのように使われていたかなどを含めて詳細は不明です。」
玄関側(北側)から見た建物
建物の中が一般公開されるのは今日明日の2日間だけです。
それだけにたくさんの人たちが訪れていました。
秋の草花が飾られています。
2階のベランダのガラス越しに見た庭園と谷戸の風景。
屋内の照明もお洒落なデザインです。
大理石のマントルピースとその照明
庭園から見た建物全景。
建築様式は15世紀から17世紀のヨーロッパの民家に多く用いられたハーフティンバー様式で、端正で古典的な外観です。
正面から。
最後は、庭園のバラを入れてみました。
[10月4日撮影]
洋館は、横浜のイメージが強いですが
この時代に建てられた洋館は、本当に贅を尽くしていますね。
海外にも引けをとらない、つくりですね。!(^^)!
by こうちゃん (2008-10-05 00:31)
流石に、元宮様の邸宅ですね。
by SilverMac (2008-10-05 10:16)
見事な雰囲気、さすがすばらしいですね☆
by お茶屋 (2008-10-05 14:33)
こうちゃん
鎌倉にも洋館はいくつかあります。
元は皇族だった人の邸宅だけに、谷戸を独り占めするような立地条件も建物もインテリアも、贅を尽くしたものでした。
SilverMacさん
戦前の華族は、今では想像すべくもないほど、庶民とはかけ離れた暮らしぶりだったんでしょうね。
お茶屋さん
洋館とフランス式の庭園、そこに植えられたバラがとてもマッチしていました。
by レイン (2008-10-05 18:53)
豪華で趣きのあるお屋敷ですね〜
今は市の所有ですか。
貴重な一般公開で内部を見られて良かったですね。
by yakko (2008-10-06 13:56)
本当に見事な造りですね。
建物だけでなく庭の造りも見事です。
by でいぶさん (2008-10-07 23:52)
こんな洋館の中に入ったら、お嬢様のような気分になれそうですね。
庭園と谷戸の風景の緑色が、見ていて和めそうです。
by ながつき (2008-10-09 21:17)
yakkoさん
春秋の年二回建物は一般公開されます。ふだんは庭からしか見ることができません。私も今回は初めて見ることが出来ました。
でいぶさん
建物も調度も庭もどれも一流のものなのでしょうが、設計者はわかっていないようです。
ながつきさん
谷戸が借景になっていて、庭園自体が豪華に見えます。
戦前の華族の生活を垣間みることができます。
by レイン (2008-10-09 22:09)