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天龍寺 〜京都に紅葉を訪ねて その1 [京都散歩]

紅葉にはまだ早いとは思いつつ、京都へ一泊で出かけました。
いつもながらのことですが、初日に7カ所、翌日に3カ所の計10カ所を駆け足で回る強行軍。
肝心の紅葉はやや期待はずれの色合いでしたが、最盛期には観光客で身動きできないほどになる京都ですから、それを避けるためには致し方ありません。

新横浜から京都まで、のぞみで約2時間。新幹線から山陰本線に乗り換え、向ったのは嵯峨嵐山駅。京都旅行の最初の訪問地は、天龍寺と決めました。

「腹が減っては旅ができぬ」 駅前の食堂「さがのや」でまずは腹ごしらえ。
天龍寺への道順を確認しながらいただいたのは、マグロ丼定食。
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秦氏の氏寺 〜広隆寺・京都夏の旅 その10【最終回】 [京都散歩]

8月下旬、二泊三日で京都を訪れ、拝観した寺院等の紹介を続けてきました。
8月末から始めたシリーズも既に10記事目となりました。
今回はとうとう(ようやく?)その最終回。
3日目に訪れたのは太秦(うずまさ)にある広隆寺です。

寺伝によると広隆寺は、推古天皇11年(603年)奏河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺とのことです。

奏河勝は新羅系の渡来人、秦氏の首長で、養蚕機織りだけでなく農耕、醸造等大陸や半島の多くの先進文化をわが国に伝えました。その秦氏の本拠地がここ太秦です。

上宮王院太子殿

享保15年(1730)に建立された広隆寺の本堂で、聖徳太子像を本尊としています。

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新旧の心やすらぐ庭園 〜妙心寺・退蔵院 京都夏の旅 その9 [京都散歩]

妙心寺の塔頭の一つ、枯山水の庭園で有名な退蔵院を拝観しました。

退蔵院は応永11年(1404年)、越前の豪族波多野出雲守重通が、妙心寺第三世 無因宗因禅師を開山として建立しました。
方丈は慶長年間の建立で、重文。庭園は室町時代の画家、狩野元信(もとのぶ)による作庭です。

山門

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七堂伽藍がそびえる禅の名刹 〜妙心寺・京都夏の旅 その8 [京都散歩]

既にお彼岸が過ぎ、季節は秋に向っています。
朝夕は秋らしくなってきました。
流鏑馬や彼岸花で中断していました京都・夏の旅シリーズの再開です。

8月下旬、2泊3日で真夏の京都を訪れました。
1日目は、1)晴明神社、2)廬山寺、3)六波羅蜜寺、4)化野念仏寺の千灯供養。
2日目の、5)嵯峨野の天龍寺、6)常寂光寺、7)渡月橋、そして花園の法金剛院までご紹介しました。
今回は同じ花園にある巨大な禅刹、妙心寺にお詣りしたときのレポートです。

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西行の愛した女性〜渡月橋から法金剛院へ・京都夏の旅 その7 [京都散歩]

嵯峨野の美しい竹林を再び通り、渡月橋を目指しました。
竹林の小径が終わると亀山公園にそのままでます。
公園の中の道を下って行くと大堰川(おおいがわ 別名保津川)が見えてきます。

川下りを楽しむ船を見ることもできました。

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竹林を抜けると、そこは... 〜常寂光寺・京都夏の旅 その6 [京都散歩]

京都・真夏の旅の続きです。

天龍寺の北門を抜けるとそこは、嵯峨野の竹林の小径。
京都を紹介する旅行雑誌やガイドブックの表紙にも登場します。
テレビのサスペンスドラマの舞台にもたびたびなっていますね(私は見たことありませんが)。

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夢窓国師の庭園「曹源池」〜天龍寺・京都夏の旅 その5 [京都散歩]

8月下旬、娘と二人で夏の京都を歩きました。
1日目は曇りでしたが、蒸し暑く、2日目3日目はかんかん照りでさらに暑かったです。

2日目は嵐山に行きました。JR嵯峨嵐山駅で下車し天龍寺へ向います。

天龍寺は足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、暦応2年(1339)夢窓国師を開山として創建しました。この地は後嵯峨上皇の離宮、亀山殿があったところで、後醍醐天皇はここで幼少期を過ごしました。

夢窓国師の作庭した曹源池(そうげんち)は国の史跡・特別名勝の第1号に指定、1994年には世界文化遺産に登録されています。

たびたびの火災で創建当時の諸堂は残っておらず、大半が明治になっての再建です。

総門

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死者との対話 〜化野念仏寺「千灯供養」・京都夏の旅 その4 [京都散歩]

京都の旅シリーズ第四弾は、夜の観光です。
といっても歓楽街に繰り出した訳ではなく、京都駅から夕方出発する観光バスに乗って、化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)で行われる千灯供養に参加しました。

化野念仏寺は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺で、化野は、鳥辺野(とりべの)と並ぶ平安京以来の風葬の地です。

兼好法師の徒然草にも、「あだし野の露消ゆることなく鳥辺野の烟立ち去らでのみ住み果つる習いならば、いかにものあわれもなからん。世は定めなきこそ、いみじけれ」と記されています。

化野念仏寺は弘仁二年(811)、弘法大師(空海)が化野の風葬の惨めさを知り、五智如来寺を建て里人に土葬という埋葬を教えたのがはじまりといわれています。のち法然上人がここに念仏道場を作った事から化野念仏寺というようになりました。

境内には8000体あまりの無縁仏、石仏、石像、石塔が、明治中期に化野一帯から集められています。
千灯供養は、毎年地蔵盆の8月23日・24日の夕刻、境内中央の西院の河原と呼ばれる場所で、参拝者がロウソクを供えて無縁仏の霊を慰める行事です。
昨年までは事前申し込み制でしたが、今年からは自由参加となっています。

私たちも行事協力金(1人1000円)を納め、参加しました。

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冥界の分れ道 〜六波羅蜜寺・京都夏の旅 その3 [京都散歩]

廬山寺を訪れたあと、六波羅蜜寺へ向いました。
バスを清水道で降り、松原通を清水寺とは反対側に進みます。

この辺一帯はかつての葬送地、鳥辺野(とりべの)の入口にあたります。
天歴5年(953年)に空也上人が鳥辺野に棄てられた死者の供養や疫病退散を願い、六波羅に西光寺を建立します。

空也上人没後の貞元2(977)年、六波羅蜜寺と改称,天台別院となりました。
「六波羅蜜」とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。

平安時代後期、平忠盛がこの寺の塔頭に軍勢を留めて以来、平家の根拠地となり、広大な境域内に権勢を誇る平家一門の邸館が軒を連ねました。

寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、本堂のみ焼失を免れました。現本堂は南北朝時代の貞治2年(1363)の修営で、明治以降荒廃していましたが、昭和44年(1969)開創千年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせています。

本堂【重文】

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紫式部の屋敷跡 〜廬山寺・京都夏の旅その2 [京都散歩]

京都夏の旅、第2弾は廬山寺(ろざんじ)です。
晴明神社を訪れたあと、バスで廬山寺へ向いました。
府立医大病院前で降りて御所の方へ向います。
最初間違えて清浄華院というお寺に行ってしまいましたが、その隣でした。

廬山寺の山門

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