函館市文学館からベイエリアへ〜函館を歩く その10 [旅]
函館への二泊三日の旅、ほぼ最終回。
ほぼというのが微妙ですが、番外編もあるかも?という予告です。
さて、2日目の午後は啄木の住んでいた青柳町を訪ね、坂道を斜めになって歩きながら、元町地区を通って市電通りの函館市文学館を目指しました。
青柳町には、亀井勝一郎の文学碑があります。
文芸評論家として活躍した亀井勝一郎は函館生まれで、生家は元町の聖ハリストス正教会の隣にあったそうです。
「人生邂逅し開眼し瞠目す」という言葉が刻まれています。
亀井勝一郎の生誕の地を示す案内板を、1日目に元町地区散策中見つけました。
後ろに見えるのは、東本願寺函館別院です。
元町地区を散策途中、相馬邸の前を通りました。
1861年(徳川時代末期)、行李ひとつで箱館に渡り、一代で北海道屈指の豪商に上り詰めた相馬哲平の私邸です。
函館市文学館
この建物は大正10年(1921年)に第一銀行函館支店として建設されたもので、煉瓦及び鉄筋コンクリート造り3階建ての堅牢な建物です。
函館が育んだ多くの文学者や文学作品を末永く後世に語り継ごうとして設立されました。
特に石川啄木に関する資料は2階に専用のコーナーが設けられ充実しています。自筆の原稿や日記、手紙類など観覧のため全国から訪れる人が絶えません。
記念スタンプ
啄木の他にも今東光、久生十蘭、亀井勝一郎、井上光晴、宇江佐真理、辻仁成など、函館ゆかりの作家や文学者の直筆原稿、愛用の品などが展示されています。
文学館を訪れたあと市電に乗り魚市場前の電停で降り、お土産を見にベイエリアを散策しました。
金森倉庫(かねもりそうこ)
赤煉瓦の倉庫はお洒落な店に変身しています。
ホテルに戻り、部屋の窓から。函館山に夜の帳(とばり)が降りようとしています。
[9月1日、2日撮影]
ほぼというのが微妙ですが、番外編もあるかも?という予告です。
さて、2日目の午後は啄木の住んでいた青柳町を訪ね、坂道を斜めになって歩きながら、元町地区を通って市電通りの函館市文学館を目指しました。
青柳町には、亀井勝一郎の文学碑があります。
文芸評論家として活躍した亀井勝一郎は函館生まれで、生家は元町の聖ハリストス正教会の隣にあったそうです。
「人生邂逅し開眼し瞠目す」という言葉が刻まれています。
亀井勝一郎の生誕の地を示す案内板を、1日目に元町地区散策中見つけました。
後ろに見えるのは、東本願寺函館別院です。
元町地区を散策途中、相馬邸の前を通りました。
1861年(徳川時代末期)、行李ひとつで箱館に渡り、一代で北海道屈指の豪商に上り詰めた相馬哲平の私邸です。
函館市文学館
この建物は大正10年(1921年)に第一銀行函館支店として建設されたもので、煉瓦及び鉄筋コンクリート造り3階建ての堅牢な建物です。
函館が育んだ多くの文学者や文学作品を末永く後世に語り継ごうとして設立されました。
特に石川啄木に関する資料は2階に専用のコーナーが設けられ充実しています。自筆の原稿や日記、手紙類など観覧のため全国から訪れる人が絶えません。
記念スタンプ
啄木の他にも今東光、久生十蘭、亀井勝一郎、井上光晴、宇江佐真理、辻仁成など、函館ゆかりの作家や文学者の直筆原稿、愛用の品などが展示されています。
文学館を訪れたあと市電に乗り魚市場前の電停で降り、お土産を見にベイエリアを散策しました。
金森倉庫(かねもりそうこ)
赤煉瓦の倉庫はお洒落な店に変身しています。
ホテルに戻り、部屋の窓から。函館山に夜の帳(とばり)が降りようとしています。
[9月1日、2日撮影]
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