東大寺の紅葉〜紅葉の奈良を訪ねて その6 [奈良散歩]
前回に引き続き、奈良の記事です。
春日大社から手向山八幡宮、そして東大寺の三月堂、二月堂を経由し、裏参道を歩きました。
東大寺は、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(きんしょうじ)が前身とされています。
天平13年(741年)に国分寺建立の詔が発せられ、これを受けて翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、寺名は金光明寺と改められました。
大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと言われています。
東大寺大仏殿の北側、裏参道から見上げた紅葉
大仏殿西側の回廊沿いの紅葉
東大寺の塔頭(たっちゅう)、指図堂の紅葉
指図堂は大仏殿の西方100mのところにあります。
永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、大仏殿が焼失し、その100年余り後、再建する気運が持ち上がりました。この辺り一帯は、復興事務所ともいうべき勧進所の建物群が立ち並び、大仏殿の計画図面を(指図という)を展示するお堂が立てられました。指図堂という名称は、このことに由来しています。
指図堂から戒壇院へ向いました。
天平勝宝6年(754年)、鑑真和上によって、東日本で初めて受戒が行われました。大仏殿前に戒壇を築き、聖武天皇をはじめ400人に戒が授けられました。同年、孝謙天皇より戒壇院建立の宣旨があり、戒壇院が造営されました。
戒壇院
堂内には、国宝の四天王像と多宝塔が安置されています。
大仏殿(金堂)【国宝】
今回は外から拝むだけにしました。
南大門【国宝】
金剛力士像【国宝】
いつみてもその姿、大きさに圧倒されます。
鏡池に映る南大門と大仏殿
紅葉越しに眺めた大仏殿
[11月22日撮影]
春日大社から手向山八幡宮、そして東大寺の三月堂、二月堂を経由し、裏参道を歩きました。
東大寺は、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(きんしょうじ)が前身とされています。
天平13年(741年)に国分寺建立の詔が発せられ、これを受けて翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、寺名は金光明寺と改められました。
大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと言われています。
東大寺大仏殿の北側、裏参道から見上げた紅葉
大仏殿西側の回廊沿いの紅葉
東大寺の塔頭(たっちゅう)、指図堂の紅葉
指図堂は大仏殿の西方100mのところにあります。
永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、大仏殿が焼失し、その100年余り後、再建する気運が持ち上がりました。この辺り一帯は、復興事務所ともいうべき勧進所の建物群が立ち並び、大仏殿の計画図面を(指図という)を展示するお堂が立てられました。指図堂という名称は、このことに由来しています。
指図堂から戒壇院へ向いました。
天平勝宝6年(754年)、鑑真和上によって、東日本で初めて受戒が行われました。大仏殿前に戒壇を築き、聖武天皇をはじめ400人に戒が授けられました。同年、孝謙天皇より戒壇院建立の宣旨があり、戒壇院が造営されました。
戒壇院
堂内には、国宝の四天王像と多宝塔が安置されています。
大仏殿(金堂)【国宝】
今回は外から拝むだけにしました。
南大門【国宝】
金剛力士像【国宝】
いつみてもその姿、大きさに圧倒されます。
鏡池に映る南大門と大仏殿
紅葉越しに眺めた大仏殿
[11月22日撮影]
モミジの美しい紅葉が目に残ります。
by yakko (2008-12-14 22:58)
大仏殿はすごい人手ですね~ ♪
モミジがとても栄えています。
by わか (2008-12-15 06:41)
大仏殿☆
すごい迫力&人手ですね!
とってもnice!なお写真です♪
by お茶屋 (2008-12-15 11:27)
yakkoさん
広い東大寺の境内にはそこここに紅葉が植えられ、大仏殿などの伽藍を背景に撮ることができました。
わかさん
今回は大仏殿の中へは入らず、南大門の柵の間から撮っています。
奈良の観光名所だけあって人出もたいへんなものでした。
お茶屋さん
大仏殿、南大門、金剛力士像はどれも大きく迫力あります。
たくさんの観光客が来るのもわかります。
by レイン (2008-12-18 00:36)
atomさん
8300nice!を押していただき、ありがとうございました。
by レイン (2008-12-18 00:44)