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三渓園・鶴翔閣 [建物]

 継続は力なり。できるだけ新しいカメラで撮った画像をアップしようと思っています。建物シリーズ第二弾は横浜・三渓園の鶴翔閣です。
 三渓園は横浜の生糸商人、原三渓の邸宅でした。この鶴翔閣は三渓が家族との住まいとして、明治42年に建てられたものです。原三渓は岡倉天心の要請を受け、横山大観など多くの日本画家たちをこの建物に泊まらせて、創作活動を支援しました。創建から百年あまりたって再整備され、現在は文化活動や会合などに利用できる施設として生まれ変わっています。


 これだけの大邸宅に住んでいた昔の生糸商人は、想像できないくらいのお金持ちだったのだと思います。ただ原三渓が普通のお金持ちと違ったのは、稼いだ莫大な財産を無駄遣いしないで歴史的建造物や書画骨董などの美術品の収集につぎ込んだことでした。跡見女学校(今の跡見学園)で漢学と歴史を教えたこともある三渓は、教養ある文化人でもあったのです。また、「すべての富も文化遺産も社会のものである」という信念から、明治39年から広大な邸宅を「三渓園」として市民に無料で開放したことも特筆されます。
 さらに、彼の最大の功績は、関東大震災で大きな被害を受けた横浜の復興に自らの富力と精魂を傾けたことです。復興のために美術品の収集をやめ、丹誠込めたコレクションを抵当に入れ、手に入れた資金を被災した人々への援助に当てました。
 三渓園はいつ訪れても季節の花が咲き、由緒ある建物が静かにたたずみ、小鳥や鯉や亀たちの楽園です。大都市横浜にこれほどの「癒しの空間」を残してくれた原三渓と彼を支えた人たちに乾杯!


上の写真は正門から鶴翔閣をみた明治頃の写真です。
下の写真は出来るだけ同じ角度から撮ってみました。


(2005年6月5日撮影)


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