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三渓園の名建築の数々 [横浜散歩]

横浜の三渓園散策の続きです。
三渓園には各地から由緒ある古建築が移築されています。
今回はそうした建築物を中心に紹介します。

内苑の入口に立つ御門
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御門は京都の西方寺に宝永5年(1708)頃造営され、大正初期に三渓園に移築された薬医門です。奥に臨春閣が見えますが、あいにく工事中です。

大正初め頃の御門
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当時の絵葉書には「桃山御門」と表記されていますが、これは奥の臨春閣が豊臣秀吉造営の桃山建築、聚楽第の遺構とされていたことによります。戦後、臨春閣は江戸初期に建てられた紀州徳川家の別荘、「巌出御殿」と判明したため、「桃山御門」は「御門」となりました。

工事中の臨春閣
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経年劣化した屋根(こけらぶき、檜皮葺)の修理を行っています。予定では2020年5月下旬までかかるようです。
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臨春閣第三屋「天楽の間」
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欄間には雅楽で使われる笙と笛など本物の楽器があしらわれています。

豊臣秀吉愛用の瓢箪紋手水鉢
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秀吉が好きだった瓢箪の紋様があしらわれています。秀吉が藤堂高虎に与え、伊賀上野城にあったものです。

旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)
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寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のことです。豊臣秀吉が母の大政所のため京都の大徳寺内の天瑞寺に建てた石造の寿塔の覆堂で、明治38年(1905)に三渓園に移築されました。園内で最も早く移築された建物です。

正面に施された装飾は迦陵頻迦(かりょうびんが)です。
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迦陵頻迦とは極楽浄土に住むと言われる上半身が人の姿をした鳥のことです。

亭榭(ていしゃ)
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臨春閣の脇にかけられた橋の上に唐破風の屋根を載せた見晴し台。
京都の高台寺の観月台を模して作られました。移築建築物ではありません。

闌干の柱の上の飾も凝ったデザインになっています。
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三渓園内苑完成記念の茶会・大師会当日の原三渓。大正12年4月。
亭榭の前に立つ写真です。ここがお気に入りの場所だったのかもしれません。
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聴秋閣
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徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物。江戸時代の武士 佐久間将監(さくましょうげん)の作と伝わります。
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旧東慶寺仏殿
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室町時代の永正6年(1509)に再建された建物を、明治40年(1907)に移築したものです。

この他にも重要な移築建築物が多数ありますが、今回はこの辺で。

ハス池のほとりで葉の上に休んでいた揚羽蝶。
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最後はアオサギです。
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[9月1日撮影]
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