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小林秀雄『中原中也の思い出』〜鎌倉・妙本寺の海棠 [鎌倉花散歩]

鎌倉比企ヶ谷妙法寺境内に、海棠の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎日のお花見を欠かしたことがなかったが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切り株を見に行くまで、何だか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になくみごとなものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目のように細かく別れて行く梢の末々まで、極度の注意力をもって、とでも言いたげに、繊細な花をつけられるだけつけていた。

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中原と一緒に、花を眺めたときの情景が、鮮やかに思い出された。
若木の海棠は満開であった。思い出は同じであった。途轍もない花籠が空中にゆらめき、消え、中原の憔悴した黄ばんだ顔を見た。

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中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女と私は同棲した。

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晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひたらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。

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驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。

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花びらの運動は果てしなく、見入っていると切りがなく、私は急に嫌な気持ちになって来た。我慢が出来なくなってきた。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。

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「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。

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[4月14日撮影]
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yakko

お早うございます。
物語に桜の花がピッタリですね・・・
by yakko (2012-04-17 10:26) 

Silvermac

桜も若葉も美しいですね。
by Silvermac (2012-04-17 19:14) 

タックン

小林秀雄と中也 いろいろドラマがありましたね。
写真と文章に ついつい惹かれて読んでしまいました。
by タックン (2012-04-17 21:29) 

achami

緑も綺麗ですね〜^^
by achami (2012-04-17 22:38) 

東雲

高校の時、親友から誕生日プレゼントにもらったのが、
中也の詩集です。
それからん十年たった今、詩集はすっかり色褪せてはいますが、
今も私の宝物です。
勿論、その親友は今も大親友です^^
by 東雲 (2012-04-19 20:42) 

レイン

yakkoさん
桜に似ていますが花は海棠です。
小林秀雄のエッセイは中也との葛藤と哀惜に満ちています。

by レイン (2012-04-20 19:34) 

レイン

SilverMacさん
若葉も新緑も雨に濡れて輝きを増していました。
by レイン (2012-04-20 19:37) 

レイン

achamiさん
花に眼を奪われがちですが、春は新緑も美しい季節です。
by レイン (2012-04-20 19:46) 

レイン

東雲さん
中原中也の詩集にはそんな思い出があるのですか。
今も続いているその方との交流は大事な宝物ですね。
by レイン (2012-04-20 19:50) 

レイン

タックンさん
解説なしのいきなりエッセイで、わかっていただける方がいるかな〜、と少し心配でしたが、皆さん中也と秀雄の確執、愛憎、三角関係はご存知でしたね。
鎌倉歩きもこうした歴史を知っているといっそう楽しいものになります。
by レイン (2012-04-20 19:55) 

stella

初めまして。
同じ日に私もこの場所におりました。
雨に濡れたカイドウ、なかなかステキでした。
by stella (2012-05-30 23:53) 

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